あおもり正直村ブログ

あおもり正直村は青森県産の素材で
食品づくりを行う職人たちの集まりです。
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ボランティア。ずっと続けていきたい。
ゴールデンウィークに我々正直村からも震災ボランティアの派遣を行いました。 

あおもり正直村の村民ですが岩手県出身者の私、古川が5月2日、3日に現地入りさせて戴きました。

初めてのボランティアとなるため、これまで数度被災地に行かれた経験のある青森県中小企業団体中央会のS氏に御指導戴きました。Sさんありがとうございました。

陸前高田市に入りましたが、その内容を報告させて戴きます。

■5/2 陸前高田の1日

前日入りした宿泊場所のマース北上より朝7時に岩手のボランティア前線基地となっている遠野市に向け出発。

北上市から遠野市へ向かう道々で、至る所で神戸ナンバーをはじめ県外ナンバーの車両を見かけました。

阪神大震災の被災地となった神戸からみんな応援に来ているようで、なんだか胸に込みあげるものがありました。

私は今は青森県人ですが、生まれは岩手県。生まれて2歳までと、小学3年から高校3年までを岩手県にお世話になりました。その岩手で多くの方が厳しい環境に置かれているとき、みんなが応援にきてくれていました。私は震災から50日過ぎるまで応援に行けなかった。ごめんなさい岩手県。

道々で「頑張ろう岩手」「自衛隊のみなさんありがとう」「ボランティアの皆様に感謝」などのポスターや張り紙が目に付き、それを見ただけで本当に胸がいっぱいになりました。

8時頃、遠野市総合福祉センターに到着。

センターの向かいには、自衛隊の車両やテントが並んでおりましたが人気はなく、今も続く行方不明の方の捜索、遺体の回収に総力をあげている様子でした。
長期間の相当な激務なのだと思います。

その様子を見て、私も私にできることをしなければと思いました。

遠野市は岩手県の海岸沿いから約40km内陸に位置します。被災地に直接入っても、それぞれの被災地で状況もニーズも異なりますので、各被災地にここ遠野から要望調査員を送ることで情報をつかみ、翌日以降ボランティアにより対応する仕組みになっているようでした。

GW4日目でもあり、相当の数の方がボランティアに来ておられました。50人乗りのバスが見ただけでも7〜8台はあり、我々は少し遅かったのでしょう。既にみんなバスに乗っていました。
急いで座ることのできるバスに乗り込み、副座席に座りました。

我々の乗り込んだバスのリーダーは30歳前後の若い男性の方で、静岡県から来ている方でした。そのリーダーの説明で、陸前高田市の高田小学校へ行くことが分かりました。作業内容は、泥をかぶってしまった校庭から、木片、石、硝子などの異物を含む泥の撤去とのこと。

陸前高田市までの約50kmをバスに揺られながらの移動。みんな寡黙でした。

9時頃に陸前高田市に入りますと、目に飛び込んできたのは、川沿いに流れ着いた自動車、瓦礫・・・。海岸から2kmも内陸だというのに・・・。一階部分が吹き抜けになってしまている家もあります。
なんと表現すればよいのか・・・。海に近づく程にその惨状が増していきます・・・。

中学の頃、大船渡市に単身赴任していた父親に高田松原公園に連れてってもらったことがありましたが、もうどこが高田松原公園なのか分かりません。

岩手県沿岸部はリアス式海岸と呼ばれ、いくつもの半島が突きだした形をしています。このため、津波の威力が陸地に迫るほどに強くなり、海岸線はもちろん川という川を逆流して2km先までの全てを飲み込んだのとバスの運転手さんから聞きました。

ここに来る前に読んだ陸前高田の女子高校生の方のツイッターのまとめを思い出しました。同級生の方をはじめ、多くの友人、知人を失い、今も断水が続く厳しい生活をしておられます。その高校生の方は、そんな中でも、ニーズのある支援物資などをリスト化するなど率先した取り組みを行っていました。

高田小学校に着きました。
平時では海を望んだ素晴らしい光景が一望できる高台にある小学校なのでしょう。
でも今は、見渡す限り瓦礫ばかりです。



プールなのでしょうか。




校舎からは元気な小学生たちの声が聞こえ、鯉のぼりもはためいています。


その元気な声と鯉のぼりに、現地に来たばかりの私は現実感を失ってしまいそうになりました。
ふと目を落とすと津波で汚れてしまったアルバムがありました。そこにはお父さんとお母さんと肩を組む笑顔の子供の写真がありました。
元気にしておられるのでしょうか?・・・ただただ涙があふれてきました。

作業が開始されました。
みんな黙々と泥を削り、異物を取り除き、それを山にして、一輪車に乗せて運びます。


地元岩手の方、東京の方、静岡の方、どこかわからないが関西弁の方。男性、女性、壮年の方から若い方まで色々です。
すべての方が、次に必要になる作業を我先にと率先して行っていました。
ときおり強い風で砂が顔面をたたきつけましたが、誰も疲れたとも休みたいとも言わない。
リーダーの男性の的確な目標設定と休憩のタイミングもさることながら、本当に意識の高い方ばかりでした。

昼休みに少しだけSさんと学校の周りを歩いて見ました。



周りはどこも




かしこも・・・。



せめて小学校だけでも無事で良かった。
断水状態のため、トイレも仮設でしたが、仮説トイレをお借りした際に小学生と少しだけ話しをしました。
「ボランティアの人?」
「そうだよ。」
「体育館にいるの?」
「違うよ。遠野から来たんだ。」
「頑張ってね。」
「ありがとう。」
4年生くらいでしょうか?この子の家族は無事なんだろうか。話したかったのですが、聞くことが良いことなのか分からずそれ以上会話ができませんでした。

実は写真をとることも良いのか分からずあまり積極的に撮ることができませんでした。

断水のため給水車が来ていました。


午後3時までの作業を終えると、1年生か2年生でしょうか、子供達が「みなさん。ありがとうございます。」と感謝のあいさつ。


被災地の子供さんには力強く生きていって欲しい。本当にそう思いました。

神戸大学の学生さんもボランティアに来ており、密着取材なのかテレビ局も来ていました。
また、我々が帰りのバスに乗り込んだ時にサッカーの北澤豪さんが小学校に来たようです。

明日もできることをやろう。そう思い帰路につきました。


■5/3 秋刀魚回収と消臭の作業。

後から分かった事ですが、遠野市はボランティアのために宿泊施設を開放していたようです。でもあまりよく調べていなかったので、この日も北上から遠野へ。

昨日、バスに乗り遅れるところでしたので、6時半に出発し、7時15分に遠野入り。

到着すると、各被災地からのニーズに応じ志願を募っているところでした。
(1)建設関係の方や日曜大工がうまい方は大槌町へ行き、解体と仮設物の構築。
(2)陸前高田市で被災した水産加工施設から流出した商品や原料の回収。
(3)前線基地内でのニーズの仕訳などの仕事。
(4)復興イベントの補助とイベントを盛り上げるためのさくら。

 大きく分けるとこの4つがこの日の作業。

日曜大工やっておけばよかったと悔やみながら、Sさんと私は原料回収に決定。
「さんま8号」と書かれたバスに乗り込み、今日も陸前高田市へ。

昨日と同じ風景を見ながらバスで移動。
ずっとボランティアで入っている方同士は仲良くなっているようで、昨日とは異なり色々な話が出ていました。それによれば、ニーズ調査員という仕事もあり、自家用車で被災地に向かい、避難所や病院、学校などの様々な施設で何が必要か確認してくる仕事もあるそうです。
被災された方への想いを酌むという、なかなか責任重大な仕事なのだと思いました。

現地に着きました。

昨日の高田小学校よりだいぶ南。
宮城県気仙沼市との境目にある水産加工施設に津波が直撃し、原料や商品が内陸の1キロ先まで流されていました。その殆どが秋刀魚で、被災後50日が経過し腐臭を放っているため、これを撤去し、消臭のためEM菌を散布するのが今回の作業内容。

私とSさんは情報不足で、鉄板の入った靴のソールを持参してませんでしたので、EM菌散布グループに編入。
鉄板ソールでなければ、釘を踏み抜き破傷風になることもあるためで、その装備のある方は瓦礫の中から秋刀魚の回収に当たります。

Sさんはこれまでも野田村などでボランティアを行っていることもあり、EM班の第一分班長に任ぜられました。




詳しくはないのですが、EM菌は農業用のぼかし肥料としても用いられる有用微生物群。簡単に言えば人や農作物に良い効果をもたらす菌類を集めたのがEMで、人や農作物に悪い菌や有機物を分解してくれる?らしい。

気温が高かったこともあるのでしょう、確かに秋刀魚のあった臭いの場所に散布すると1時間くらいで臭いが少なくなりました。

10倍から20倍で希釈したものの、昨日より人数も多く、午後にはEMがなくなってしまいました。

ここからは、他のグループの皆さんが一ヶ所に集めてくれた秋刀魚を回収し、トラックに集荷するためのプラカーゴまで運ぶ作業。確かにすごい臭いです。シャベルでプラトレイに山盛りに入れ、200mを歩いて運ぶ。
衣服の一部に秋刀魚がこびりつけば、拭き取ろうが、洗濯しようが臭いは殆ど落ちないとのこと。

体力も忍耐も必要なこんな作業に若い女性が多く従事していたのに驚きました。
昨日と同じで皆休まず率先して動いていました。

みんなで集めた大きな秋刀魚の山も人海戦術による4〜5回の往復で無くなりましたが、この地域一帯から見ればまだまだほんの一部です。
やっぱり、ボランティアは人数が必要です。

Sさんと少し、周りを歩く。

ここも海からはだいぶ離れているのに・・・。

歩きながらSさんは話しました。
東北の海沿いがどこもこんな惨状なら1年とかそんな期間じゃ元通りにはなりようがない。昨日も今日も私達がボランティアでできたことは本当に小さな事。GWが終わればボランティアの方の数も減る。ACの広告じゃないですが、小さくてもできることをずっと続けていくことが必要。
また、夏でもシルバーウィークでも行けるときにボランティアを続けていきたいと。

陸前高田を後にしながらバスの中から外を見ると、地元の方が頭を下げておられました。バスを見るおじいちゃん、おばあちゃんが皆、頭を下げておられました。

肉親はじめ愛する方を失った方は、簡単に被災地から離れられない。

今回のボランティアで痛感しました。
行って、見て、何かを行うことで初めて少し分かるということが。

この先、復興までどれだけの時間がかかるか分かりませんが、これから先も、行けるときにボランティアへ行こうと思います。
 
頑張ろう東北。頑張ろう日本。そして私も微力ですが頑張ります。
 
Sさんずっと一緒にありがとうございました。また是非一緒に行きたいと思いますので、今後とも宜しくお願いします。

あおもり正直村事務局 古川博志
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